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現在の鍋島焼と言われるもののほとんどは、この大川内山で焼かれたものです。
日本ではじめて磁器が生まれたのは、江戸時代初頭、現在の佐賀県有田町でした。
この日本で唯一の磁器生産地を持った鍋島藩は、有田の優秀な陶工を集めて藩直営の窯を築き、
城内の調度品、また献上、贈答用の磁器を焼かせました。
1675年、藩窯は、山深い伊万里市大川内山に移り、
以降明治4年の廃藩までこの地で活動を続けました。鍋島藩窯は、本格的な組食器を生産し完全な
組織化により生産を管理し製品の質の向上に常に気を配りました。その技法の秘密は、厳守され不良品も
外部に持ち出される事なく処分されました。
献上、贈答などの特別な目的のために作られたそれらは、市場に出回ることなく明治になるまで
一般の人々の目に触れる事はありませんでした。この事が今の『秘窯の里 大川内山』と言われる由縁です。

今では、30軒の窯元が美術品から一般食器を製作しています。
毎年4月1日〜5日『春の窯元市』・11月1日〜5日『鍋島藩窯秋まつり』と
年に2回窯元市が開かれ多くの焼物ファンで賑わっています。

大川内山入り口の詳しいMAPはこちらをご覧下さい。
大川内鍋島窯跡、国の史跡指定が決定致しました。

大川内鍋島窯跡の環境整備〜国の史跡指定で

鍋島焼の佐賀鍋島藩の御用窯が置かれた伊万里市大川内山一帯が「大川内鍋島窯跡」として十六日、
国の史跡指定を受け官報で告示された。市では「美術的、学術的な認識、評価を一段と高めるばかりでなく、
窯業、観光振興など幅広い面に大きな波及効果をもたらすはず」と期待をかける。

 また伊万里焼として伝統を受け継ぐ地元の三十四の窯元でつくる
大川内山鍋島焼振興協議会の小笠原和生会長は
「指定は地元の窯元みんなが心待ちにしていた。残された文化的資産をできるだけ昔のままに大事に守り、
全国の多くの人に見てもらいたい。
行政とも協力して鍋島、伊万里焼をより積極的に全国にPRしていきたい」と喜んだ。

告示された指定区域は、屏風(びょうぶ)岩北側地域を中心とする
八万三千八百七十二平方メートル(うち民有地七万四千四百平方メートル)。
鍋島焼の発祥とされる一六六〇年代の日峯社下窯跡、藩役宅跡、陶工屋敷跡、御細工場跡、
道具小屋跡、幕末期にかけての連房式登窯(のぼりがま)の御用窯跡の一部、藩窯廃止後に
最後の陶工たちが作った窯跡などが点在している。

指定によって、市では来年度に学識経験者ら専門家十人程度に委嘱して史跡保存整備策定委員会を設置。
重要地域の公有化を進め、発掘調査の成果に基づき環境整備、保護、活用を図る。
今回、御用窯跡の重要な部分がある民有地は地権者の理解を得られず範囲から除外したが、
今後も説得を続け同意が得られた段階で追加指定の措置を講じたいとしている。
事業費は国50%、県、市が各25%負担。

(平成15年9月17日付 読売新聞 佐賀県版より)